万八日記

初めまして、万八です。読んだ本や聞いたラジオ、旅、仕事で考えた事など、日々の感想を日記風に書かせてもらいます。皆さんが気楽に楽しめる文章を書きたいです。よろしくお願いします。

NHKラジオ「DJ日本史」を久しぶりに聞けました

日曜日午後の楽しみの1つがNHKラジオ「DJ日本史」です。

今回は久しぶりの放送でした。
メインパーソナリティーは松村邦洋さんお江戸のアイドル ホーリーこと堀口茉純さんです。

www4.nhk.or.jp

今回のテーマは幕臣たちの明治時代」
明治維新によって徳川幕府と新政府とは全く異なる方針で運営されることになったわけですが、この状況で、幕臣は何を思い、どう生活したのか、が紹介されていました。
この時期の幕僚の考え方には2通り有ったようです。

 

明治新政府入りを拒否して、自分独自の道を探した者
②かつて敵として戦った明治新政府に仕えた者

 

松村さんは、もし幕臣だったら、長い物には巻かれろ、苦も無く明治新政府入りを選ぶ、と仰っていますが、私も同感。

まぁ、勿論そんなに優秀じゃないから、新政府入りにはそもそも招かれないだろう、という松村さんの意見にも、私自身も同様だろうな、と賛成ですけれどね。

 

でも、多くの徳川幕臣は①を選んだようです。

例えば、中條金之助(ちゅうじょうきんのすけ)
彼は、徳川慶喜や、徳川宗家を継いだ徳川家達が静岡へ移住されることになると、慶喜に従い精鋭隊とその家族200人で静岡移住し、牧之原荒野を開墾し、お茶を栽培したのでした。
これが後々の静岡県の名産を生んだのです。
刀を桑に持ち替え、原野を開いた彼らの行動は素晴らしいですね。

 

また、儒学者として徳川家茂に講義もした成島柳北(なるしまりゅうほく)
彼は木戸孝允に文部大臣の誘いを受けたものの「この世で無用の人間となった。だから、もう世の中に有用のことをしたいとは思わない」と伝え、ジャーナリストとして活躍しました。

 

さらには終生、徳川慶喜の傍に仕えた高橋泥舟(たかはしでいしゅう)
彼も知事にならないかと言われましたが断り、ドクロの絵を好んで描きながら生活したそうです。
彼の言葉で曰く、「ここに書ける髑髏、もといかなるもののはてなるぞや…ただ残るは名のみなり」

 

他方、②を選んだ方には、世間の目は冷たかったようです。
例えば明治25年福澤諭吉勝海舟との論戦がありました。

福澤は勝へ「痩せ我慢の説」と言われる文章を書き送ります。

国が成り立つためには痩せ我慢が必要である。
国家とは人間が勝手に都合で作ったものであり、どんなに不利になっても守らなければいけないものだ。
だから、勝は立場的に痩せ我慢が必要だったのではないか。
新政府でも引き続き高い地位についているのはどういうことか。
勝氏には官職を捨て、表舞台から身を引くことを望む

それに対して勝海舟は答えます。

私の行いについては、あなたが言う通りであり、お恥ずかしい限りだ。
しかし、出処進退は自分が決めること。人に決められるものではない。
あなたの説はどこへ発表しても異論がない。
お送りいただいた文章はこのまま受け取りたい

さらに、その後の『氷川清話』で勝は語っています。

福澤は学者であり、俺は政治家だ。だから、見ている道が違う。
福沢は幕府を見ており、日本を見ていない。
100年先の日本を見るものは、そうであってはいけない 。

 福澤が国が成り立つ原理とその精神を見て論を主張している一方で、それを理解する勝。
名前を出して、やりあっているのが武士らしい、というホーリーの意見にも納得です。

 

最後の方で勝海舟の言葉が紹介されていましたが、今の世の中にも通用する言葉ですね。

時世の代わりというのは妙なもので、人物の値打ちががらりと変わってくるよ 

 今日もとても面白かったです。
明日から平日が始まりますね。
また、8月にも入ります。

 

あなたの人生の主人公はあなた。
今日も素晴らしい一日でしたね。
明日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

お互い、頑張りましょうね。
では、また。