万八日記

初めまして、万八です。読んだ本や聞いたラジオ、旅、仕事で考えた事など、日々の感想を日記風に書かせてもらいます。皆さんが気楽に楽しめる文章を書きたいです。よろしくお願いします。

『新潮45』のこと&佐々淳行氏死去について

初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行が本日、老衰のため東京都内の病院で死去されました。
佐々氏は1930年生まれで、享年87歳でした。
警察庁警備課長、旧防衛施設庁長官などを歴任され、後藤田正晴先生に師事されました。


1930年生まれで私が強く尊敬している方は、すでに鬼籍に入られた方も含めると、谷沢永一渡部昇一日下公人早坂茂三竹村健一の諸氏。
また一人、昭和の気骨ある闘士が亡くなりました。
本当に残念。

this.kiji.is

さて、新潮45』休刊に伴い、LGBTにの生産性問題で始まった話題は一旦去ったかのように思えたのですが、

本日発売された文芸誌『新潮』において、編集長の矢野氏が読者にお詫びをし、

高橋源一郎「「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた」という文章を掲載したために、

話題が再燃しそうな勢いです。

 

私は新潮45の事件以来、小川榮太郎フェイスブックを閲覧しているのですが、彼は時に音楽のことを書き、時に日本のことを書き、時に日本思想史のことを書き、時に『新潮45』のことを書いています。
音楽及び日本思想史への深い造詣と、近代文学への愛着が魅力的に思えますが、

昨今、批判されているのは「政治は生きづらさという主観を救えない」という論文を

新潮45』に掲載したことによります。

その論文の中に、痴漢が女性を「触る権利」を社会は保証すべきではないかという記載があったことが特に話題を呼んでいるのです。

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今回の件について、私自身は実はLGBTについての考え方や批判ということよりも、

まず前提として議論の中に「寛容さ」が必要ではないか、と考えています。


Aさんの主張は正しい・間違っている、という議論も大事ですが、

でも、それよりもまず、Aさんが書いたことがそもそも絶対正しいなんて

考えていること自体が間違っているのではないですか、という意味です。

 

「寛容」という言葉で思い出すのは、『寛容論』を書いたフランスの文学者ヴォルテ―ル(1694~1778)ですね。
この中では「ジャン・カラス事件」をきっかけにヴォルテ―ルが考察した内容が

書かれているのですが、寛容について書いている部分を少し抜粋すると、

・私はあなたの意見には反対だ。しかし、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る
・寛容とは何か。それは人間愛の所有である。我々はすべて弱さと過ちから作られている
・各人が自分の好きな道を通って天国に行けばよい

 こういう精神が昨今の論壇の議論には失われているように感じます。

 

加えて、そもそも今回の話は、まず新潮社内で解決するべきであって、

それを論壇全体の議論にイキナリ仕立て上げようとする姿勢も好ましくないと考えます。

 

例えるなら、急にサーカスのピエロが銀座のスクランブル交差点にやってきて、

色々なモノが入ったびっくり箱を急に開いたような、

そして、そこから色々なものが出てきてしまったような感じ。

 

まずはサーカスのテントの中で開けば、

テント内の観覧者が箱の中から出てくるものを観て、考えたり解釈したり、

対策を考えたりするところなのに、何も知らない・わからない人も一緒に巻き込んで、

お詫びをしたり、「おれは泣いた」なんて文章を載せたりするのは、失礼だな、と考えています。

まぁ、マスコミは楽しむのでしょうけれどね。

 

そんなコトしていないで、まずは少し話し合ってみたら、と言いたい。
新潮社内で、あるいは対談の場を作って話す、SNSだって良いと思うのです。

徹底議論したいなら、ちゃんと話し合った上でゴングを鳴らさないと、

小川氏にとっての青天の霹靂ぶりは目に余るものがありますよ。

 

今回の矢野編集長の対応は、片一方(ここでは新潮社あるいは『新潮』だけ)の

マスターベーションを見ているような気がします。

何が目的なの?
徹底議論が目的なの?
自虐ネタを披露したいの?
正義の味方を披露したいの?
見ているこっちは楽しくないですよ。

 

私はどちらの味方でも敵でもなく、むしろ、まず議論の方法を見直してください、

という立場です。

こういう性格なので、会社では結論を出すのが遅い、とか、

人に優しいばかりで自分の主張がない、なんて言われるのですがネ…。

 

これから一体どうなるのかな。

なんだか、この手の話題は気になります。妙に苛立ってしまっています。

こうした話題への接触が自分らしいのかな、と思っています。

良い機会なのでしっかり考えたいところです。

 

あなたの人生の主人公はあなた。
今日も素晴らしい一日でしたね。
明日も素晴らしい一日を過ごしましょう。

 

お互い、頑張りましょうね。
では、また。