大久保利通の囲碁について
今日も一日、終わりましたね。
お疲れ様でした。
『学研まんが人物日本史大久保利通』Kindle版を読んでました。
また、併読して佐々木克監修『大久保利通』も読んでいて、興味深かったことがあります。
『まんが』では、まだ若い大久保が身分が違い過ぎる当時の藩主である島津久光に進言するために、碁を学び始めた様子が可愛らしく書かれています。
ところが『大久保利通』で佐々木克氏は、当時、大久保は一人前の碁打ちであり、碁を習ったのも中国では囲碁が下位の者が、上位の者に意を達するための正道だった、という故事に倣ったからだろう、と書かれています。
これは興味深い内容ですが、このことが大久保の人間像に誤解を招く要因にもなっていたようです。
イギリスへ海外視察に行った大久保は、その工業や産業の巨大さに圧倒されてしまっており、「帰国して後は…引退するつもり」だったようです。しかし、国家に無くてはならない働きをそれ以後もされたのですから、見倣わないといけないですね。
明日は会議があります。
その前にもやることは多いのですが、頑張りたいと思います。
では、また。
「サンドウィッチマンの天使のつくり笑い」聞いています
ラムサール・ネットワーク日本のこと
昨日、特定非営利活動法人ラムサール・ネットワーク日本が主催する「第3回田んぼ10年プロジェクト全国集会」に参加してきました。
わずか500円で、素晴らしい発表を8本を聞けて、大変お得だったと思います。
いずれも教務が有ったけれど、知らない深い話でとても勉強になりました。
思わず「田んぼの多様性向上プロジェクト」宣言に参加してしまいました。
理論と実践を的確に行っている方々、という印象を受け、実地だけではなく、頭だけでもない、という姿勢に感心しました。
今度、書くときはもっと詳しく書きますね。
今日は何故か、疲れていて、眠いのです。
おやすみなさい。
では、また。
シンポジウム 自然と人との共生を考える―ラムサール条約と世界遺産条約の求めるもの (J‐JECブックレット)
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大久保利通の墓碑へ
大久保利通を尊敬する思いが高じて、JR四ツ谷駅から歩いて5分ほどにある紀尾井町にある清水谷公園へ行ってきました。
ここには大久保利通の墓碑があるのです。
ただ、この時期は蚊が多く出るようです。でも、池もある公園内の景色は良かったです。
私は一途に大久保利通だけを求めてきたので、哀悼碑まで直行しました。
碑には「贈右大臣大久保公哀悼碑」と書かれています。
蝉時雨の中、墓碑を見ましたが、まずは大きいです。高さは、台座も含めると6m程もあるようです。
また、文字を取り巻くように2匹の竜の紋様があります。
碑の周りは簡素な柵で覆われており、中にはデイゴの木が植わっていました。
また、不思議と肥えたスズメやハトが、墓碑の周りに集まっていました。
でも、…見上げてしまう堂々とした姿ではありますが、何てことはない、ただの墓碑に過ぎないな、と思いました。
肝心なのは、こういう姿に対して、私がどう意味付けをするか、だと思いました。
それが僕の役目でしょうね。
丁度、安岡正篤先生『活眼活学』の本の朗読を聞いていました。
どんな志を持って生きるか、だろうな、と思いましたね。
明日から月曜日です。
お互い頑張りましょうね。
では、また。
東京は大雨でした
土曜日も間もなく終わりですね。
今日の大雨は大変でした。
東京都八王子市では、18時くらいからザァ、と降り始めました。
それ以降は大雨となり、雷が鳴り、凄かったですね。
でも、1時間後くらいには静かになったかと思います。
岐阜県でも中央道で土砂崩れが有ったようですね。
皆様は大丈夫でしょうか。
さて、佐々木克「大久保利通の国家構想と非業の死」のオーディオブックを聞いていました。
1830年に大久保利通は生まれ、
1861年、薩摩藩の島津久光と面会して勘定方小頭と成り、翌年、藩の中枢的地位に着いてからは、藩、そして国家のために一途に東奔西走したようです。
西南戦争で西郷隆盛が自刃したのは、大久保暗殺のわずか1年前だったのですね。
佐々木氏は、独裁者が斃れた場合は、国民の多くは歓声を上げ、政治が丸ごと変わるものだが、大久保の死後は歓声も無く、政治は何も変わらなかった、と語ります。変わらなかった、のは否定の意味ではなく、引き続き大久保の政治方針が採用され続けた、という大久保賛美の意味ですね。
薩摩では、暗殺の直前、暴徒に教われた時、大久保は見苦しく逃げ回った、という噂が流れたそうです。大久保は長く西郷隆盛を害した悪人のように考えられていたのでしょうね。家族の苦しみ、如何ばかりだったでしょうか。
他方、大久保死後に借金が残っていた、という話は有名ですよね。と言っても、本人が贅沢したわけではなく、私財を公金に流入した、ということのが通説のようです。
明日は日曜日。一日一日、早いですね。
明日も大切に過ごしたいものです。
では、また。
引き続き、大久保利通に学んでます
一週間、終わりました。
お疲れ様でした。
今日の会議の議事録を書かなければいけなかったり、
新しい分析方法を検討しなければいけなかったり、やることが多くて大変ですが、休日は少しは気を抜いて楽しく過ごしたいです。
今日は「その時歴史が動いた 大久保利通・回避された幻の日清戦争」を聞いてました。
この日は、1874年10月31日、「大久保利通の活躍によって、清との戦争が回避された日」でした。
詳しくはまだ理解できていないのですが、清との開戦が危ぶまれる中、戦争回避を諦めずに粘り強く交渉した大久保の功績で、殖産興業に専念できる国家を維持できた、ということのようです。
一つがダメなら、次の手、それがダメなら次の手、という大久保の性格が表れていたように感じます。見倣いたいです。
明日から休みですが、無駄の無いように過ごします。
では、また。
大久保利通のことを引き続き、読んでます
引き続き、大久保利通のことを読んで、考えています。
こんなに一人の人のことを、平日も考えたり読んだりしているのは珍しいので、大切な機会としたいです。
今回、考えていたのは、大久保利通を通じて自分自身のことでした。
朝の電車内で、樋口清之氏監修『学研まんが人物日本史 大久保利通』kindle版を読んでいました。
明治維新を果たした大久保が、非常に多忙な日々を過ごす中で、1876年、霞が関に自宅を建てました。その一室に「為政清明」の額縁を飾り、こう述べます。
「私欲を持たず、清い心で政治を行う。このモットーで、これからも、難しい政治に取り組むのだ」
これを読んで、僕自身もかくあるべし、と思ったのでした。
また、これを読んで、幼少の頃に松下幸之助翁の本を読み、国家のことをこれくらい考える人でなければいけない、ということも認識したことがあったことを思い出したのでした。
確かに、当然の如く、国家を案じたり、気にすることは大切です。
でも、自分の生活も、自分が勤めている会社も大切です。
自分が接している「今・ここ」の環境を大事にしないうちに、国家のことを想っても、自分の周囲を幸福にはしないのではないか、ということを想ったのでした。
当たり前、と言われれば当たり前なのですが、そういう視点が僕には薄かったのでした。
国家のため、政治のためを思って行動しているようでいて、実は自分のことを疎かにしてしまっていたのではないか。自分の周囲を大事にすることを怠っていたのではないか。と思ったのでした。
そこは反省しないといけないな、と思いました。
僕はそんなに有能ではないし、悪事を誤魔化したがる性格なんです。
だから、静かに国家を思い、静かに行動するほうが国にとっても良いと思うのです。
身の丈に合った国家の思いかた、政治の思いかたをする必要があるのではないか、ということをしみじみ思ったのでした。
明日は金曜日ですね。
私は会議があるので慌ただしい一日になりそうです。
でも、頑張りましょうね。
では、また。