新元号の「令和」について
新元号の「令和」が公表されましたね。
PCの漢字変換でもすでに「れいわ」を入力すれば「令和」が出るので見事だなと思いました。
今回の元号決定に際して、西暦表記のみで統一したい、という話もあり、
そういう選択をする会社も多いようでした。
そんな中、例えば外務省では、内部文書である「公電」については
西暦のみの表記としたい旨を河野太郎外務大臣が回答したようです。
河野大臣はすべての作成する文書に対して西暦統一したかったようですが、
自民党内にも元号を大切にして欲しい、という意見があり、渋々従っている模様です。
西暦と元号、いったい、どちらを選択するべきなのか。
私は、どちらかを選択しなければいけないとなれば、
世界中の大多数で使用されている西暦表記のみとしたいと考えています。
大正3年に第一次世界大戦が起こった、というよりは、1914年に第一次世界大戦が起こった、
と伝える方が、正確な時間軸の中で考えられると思うので。
ただし、意外にも元号も利用できるものだなと感じました。
例えば、平成を総括する、というような論旨が多く出ていて、
そうした総括の場においては、時代区分が考えられるものだな、と思ったのです。
そう思うと、西暦と元号とを併記したりはせず、元号も特別意識することはせずに、
ただ、現皇太子が象徴天皇として立たれる御代において、
日本的に時代を総括する考え方として用いる程度で良いのでは、と感じています。
日本国が出来上がってから続いている、と言われる天皇制が日本独自の風習の1つなのでしょうから、
それを無碍に絶やさずに、上手く活かす方法を検討するのが良いのではないか、と考えます。
例えば、4月4日付の夕刊フジでは、明治天皇の玄孫であられる作家の竹田恒泰氏が
聖徳太子は、中国の皇帝とやり取りするにも「独立国家の証し」として日本の元号を使い、書をあてた。そんな先人や歴史を外務省は何だと思っているのか
というインタビューを載せています。
それもその通りかもしれませんが、時代にあった発想なのか、不思議に思っています。
平成20年にリーマンショックが起こった、という記載にどれだけの人が時代感覚をもって
話が出来るでしょうか。
どれだけのどんな意見を聞くことにするのかも検討が必要ですよね。
あなたの人生の主人公はあなた。
今日も素晴らしい一日でしたね。
明日も素晴らしい一日を過ごしましょう。
お互い、頑張りましょうね。
では、また。