キューブラー・ロスの動画を見ました。
「最後のレッスン~キューブラー・ロスかく死せり~」を見ました。
とても興味深かったです。
『死の瞬間』を著し、時代に終末医療という新風を吹き起こしたロスですが、彼女が脳卒中で倒れたときは神をヒトラーと呼び、神に対して怒っていた、早く死にたがっていた、ということを改めて見て、驚きました。
- 作者: エリザベスキューブラー・ロス,Elisabeth K¨ubler‐Ross,鈴木晶
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2001/01/01
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そうしたロスの転向(と世間は見たのでしょう)に世の中は怒り、失望し、多くの人が彼女の元から離れていったようです。
そうした世間はともかく、彼女は、自分にはまだ学ぶべきレッスンがあるのだ、と語ります。
愛には「愛を与えること」と「愛を受け入れること」とがあるが、自分をもっとどうすれば愛せるのか、を考える、そのためのレッスンを今、受けており、とにかく学ばないといけない、と語るのです。
そしてロスは2004年8月24日、死去します。
今回の動画を見て、社会的に役に立つ人生を生きたからといって、晩年が見事であるとは限らない、ということを考えさせられました。
死生学を学んでいると、死が終末で、その死の前にはその人の人格の完成があるかのような錯覚・理想を持っていましたが、そんな巧くいくこともない可能性が高いですよね。
僕は、流通ジャーナリストの金子哲雄さんや医師の西川喜作さん或いは井村和清さんのような立派な人の生き方を見て、自分もかくあるべし、と思うけれど、彼らにも彼らなりのレッスンがあり、それとしっかり向き合った、ということを忘れてはいけませんね。
本当の死はもっと汚らしくて、惨めで、淋しいものなのかもしれません。
でも、だから死は失敗でも敗北でもないのではないか、と思いました。
そういう未知で、行方知らずで、不思議だからこそ、常に意識して、向き合って、限りある生を生きていく、そういう必要があるのではないか、と考えました。
ロスの『ライフ・レッスン』に「最初から最後まで、人生は学校であり、ひとりひとりに、その人に必要な試練が課せられている。学べるかぎりのことを学び、教えられる限りのことを教えきったとき、わたしたちはほんとうの家に帰ることができる」(360)とありました。
- 作者: エリザベス・キューブラー・ロス,デヴィッド・ケスラー
- 出版社/メーカー: 角川書店
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ロスが晩年、神をヒトラーと呼び、死にたい、と言ったことが叶えられなかったのも、彼女が負うべきレッスンだった、ということなのでしょう。
同様に、僕には僕のレッスンが与えられていて、それは誰も同じ。
ヴィクトール・フランクルも「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題ではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである」(柳田邦男『「死の医学」への序章』)と語っていますから、言っていることは同じなのだと思います。
僕にも同じレッスンがあり、それは今もここでも直面していることを忘れてはいけませんよね。
明日も一日、頑張りましょう。
では、また。