平和学とは何だろう-2
昨日に引き続き、豊川慎氏のインタビューについて書きます。
ただ、昨日は月曜日だったからか、眠くて眠くて、投稿し終えたら、気付かないうちに布団に忍び込んでました。淡泊極まりない内容でしたね。
読んでくれた方、すみませんでした。
このインタビューは、日曜日のNHKラジオの宗教の時間で放送されたものでした。
さて、豊川さんの平和学の学問的な拠り所はキリスト教です。
キリスト教の世界での戦争の捉え方はどういうものなのでしょうか。
そこで、キリスト教では、大きく分けて2つの戦争観があると言います。
1つは平和主義の伝統、もう1つは、正当な戦争、正義の戦争と言われるもの。
アメリカでの同時多発テロ以降、正義の戦争という概念が、アメリカの神学者や教会で多く論じられるようにもなったようです。
ただ、この意味は、戦争それ自体が望ましいものとする考え方ではなく、戦争に歯止めをかけるルールを設けて、何が正しいのか、正しくないのかを明確にする政治的手法として用いられる、という意味でです。、
その意味で、日本の憲法9条は戦争放棄を主張している点だけでも意義はある、と主張されます。
また、キリスト協会は、戦争に協力した経緯があります。現在はそれを懺悔していますが、その罪を認めたら終わり、ということではなく、私たち戦後世代は二度と同じ過ちを繰り返さないよう、戦争の問題を自分たち自身の課題として引き受ける必要がある、と豊川さんは述べます。
私はそれも辞さない考えではあります。
豊川さんはヴァイツゼッカー元独大統領の言葉を引用されます。
「戦後世代の私たちには戦争の直接的な責任は有りませんが、過去に目を閉ざさず、過去を引き受けることに対する大きな責任がある」
戦争に関しては、私たち一人一人が良く考えなければならないことだと改めて思います。
平和学、という学問があることも感銘を受けました。
もっと学問したい、と思いました。
また明日も頑張りましょうね。
では、また。